2016/08/26 12:23

皆様こんにちは!!SKYHOPEの金山です!!

 

さてさて今回はギター話、中学卒業からいよいよバンド編です。

 

TAMAKIのフォークギターとともに中学校を卒業し、高校入学に伴って親友のU君とも学校は離れたものの、休日になれば彼の自宅を訪ねて一緒にギターを弾く日々が続きました。そんな高校一年の秋の日、U君から「学校にドラムとベースが出来る友達がおるんやけど、みんなでバンドやれへんか?」というお誘いがありました。

 

誘ってくれて有り難いのですが…ただ自分には少し引っ掛かるものがありました。

 

フォークギターをこれからも弾きたいと思っていた自分が、バンドであればエレキギターに持ち替えなければいけないのか…正直、エレキギターを持って演奏したいと思う音楽は無いなあとか、何より自分はエレキギターを持っておらず、当時既に写真部に所属しており、少ないお小遣いをやり繰りしてフィルムや印画紙を自分で買わなければいけない状態の中で、高価なエレキギターを買うのは到底無理な財務状況であることが頭を過りました。

 

U君、申し訳無い、バンドはやめとくわ、スマン」

 

あまり細かい理由は言わずにそれだけを伝えると、彼は「そうか」と寂しそうに返事し、以降その話は出ないまま数日が過ぎましたが、親友であるU君に、あまりにも雑な返事を伝えてしまったかなあと日に日に気になり始めていたある日、U君からの電話が鳴りました。

 

「あれからバンドを作って活動しているが、女性ボーカルが辞め、今は3人だけのグループになっている。明日玉出にあるスタジオで練習予定やから、遊びに来る感覚で、一回でいいから見にけえへんか?」二つ返事でOKし、翌日彼の自宅を訪ねてから、音楽スタジオというところに初めて足を踏み入れました。

 

分厚い防音用扉を開けると、そこは8帖程の小さなスタジオで、ドラムセットに高出力アンプが3台、ミキサーが一台置かれており、いきなりのK君のスティックカウントから迫力あるドラムが始まったと思うと、今もFB友人であるW君のベースが奏でる重低音が足元から突き上げ、その中で照れ屋のU君が、当時人気だったヤマハの黒いSGを軽快に鳴らしながら一生懸命に歌う姿…フォークギターとは明らかに違うこの大音量がバランス良く合わさって妙にワクワクするぞ…そうか、これがバンドの楽しさなんやと理解した瞬間であり、U君も「こんな感じやねん、どうや?一緒にやれへんか?」と再度の誘いに、「自分も今すぐこの中に入りたい」と強く感じました。

 

しかし、最大の問題はまだクリアされていません。

 

エレキギターをどうやって調達するか?いよいよ親からお小遣い前借りで購入するか…それでも買えるかどうか、値段の見当が全く付かない…彼らの演奏を聴きながら思案していました。

 

そんな気持ちを察したか、ベースのW君が、「エレキ無かったらこれをしばらく使うか?」と、エレキギターを差し出してくれました。


ヘッドに「Fernandes(フェルナンデス)」と書かれた、ストラトタイプの白いエレキギターで、そのスタイルとともに何とも軽やかなアコースティック色のある生色に惚れてしまい、W君のお言葉に甘えてしばらくエレキギターをお借りすることになりました。これでバンド加入は本格的に決定しました。

 

またもや優しい友人の手を借りながら、私にとって離れがたい存在になったこのエレキギター、翌年にはこれをW君から買い取らせて頂き、晴れて自分のエレキギターとして以降5年間のバンド活動を、マイク交換等の改造を行いながらこれ1本で歩む良き相棒となりました。こうして今回もまた、U君と繋がる優しい友人と有り難い出会いを頂いたおかげで、バンドという世界を知ることになったのです。

 

バンド名は、イモ野郎(笑)の集まりと、大阪弁の「さぶいぼ(鳥肌の意味)」をかけて、「SOME IMO」と既に決まっており、これまた当時人気だったTULIPOFF COURSE、時にフォーク色のある楽曲その他のコピーに加え、W君やU君のオリジナルソングを合わせ、そして程なくキーボード担当のT君、そして後年にはU君の妹であるMちゃんを交えた6人の個性豊かな新生バンドとして、高校一年生の秋の終わりから21歳の5月までその活動を続けることになります。

 

ではでは本日はこの辺で…皆様、体調にどうか御留意下さいね。

 

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【写真】相棒のフェルナンデスと自分の部屋で